「英語ネイティブまでの大きな壁」— 10年以上英語圏に住んでわかったこと

英語との付き合い方

アメリカとオーストラリアでの海外生活、気づけばもう10年目。
現在はNAATI翻訳士の資格取得を目指しながら、オーストラリアで家族と暮らしているYukaです✨
今回の記事では、かつて抱いていた「英語ペラペラ」のイメージと、実際に英語を使って暮らすようになって数年経った今、改めて感じているその奥深さについて綴ってみたいと思います。

私は21歳まで、完全に日本語の環境で育ちました。
ただ、両親の影響で小さい頃から洋楽を聴いて育ち、小学生の頃から続けていたチアリーディングを通してアメリカ文化にも自然と触れていたこともあり、気づけば英語という言語に強く惹かれていました。

当時は、英語を話せる人がとにかくカッコよく見えて、
「英語って、一度覚えたらネイティブみたいにスラスラ話せるんだろうな」
と、ただ漠然とそう思っていました。

でも、それがそんなに甘いものじゃないと思い知ったのは、だいぶ後になってからのことでした。

アメリカ大学へ留学前とその後

まずは留学の準備として、専門学校で1年間英語を学び、TOEFLを取得(入学できるギリギリの点数でした😅)。
その後、アメリカ・ニューヨーク州の大学へ入学し、1年後にハワイ大学へ編入。専攻は言語学。
合計3年間、アメリカの大学で学生生活を送ったのですが、在学中は近所にあったスタバと、大学の図書館が行きつけの場所となっていました☕︎

授業を録音して、その録音を繰り返し聞きながら復習し、宿題、ミニテストの勉強、あとはプレゼン準備をこなす日々。(金曜と土曜は毎週パーティーで思いっきり遊び、日曜には猛勉強して月曜日の授業に備える…今思えば、オンオフの切り替えがすごかったなと笑)

その甲斐あって、無事にハワイ大学の言語学科を卒業することができましたが、当時はまだ、字幕なしで映画やドラマをスムーズに理解するレベルには届いていませんでした。

オーストラリア移住と現在の生活環境

そして2017年、ワーホリでオーストラリアへ渡りました。
渡豪後すぐにファームで働き、ビザを延長。
その後パートナービザを経て永住権を取得し、現在に至るまでオーストラリアで生活しています。

パートナーは英語のみを話すローカルオージーで、彼の周囲にはアジア系の友人は私以外いないため、家族も含めて、私のまわりはほぼ全員白人のオーストラリア人。
息子(日本×豪)の私との会話を除けば、基本的に私の暮らしは完全に英語の環境です。

— 子どもの頃の自分からは想像もできなかったこの生活。—

今では、自分の意見を英語で伝えることは朝飯前ですし、議論にも普通に参加できます。
たとえば、有名どころで言うとTVドラマ『フレンズ』では、字幕なしでも内容を理解して楽しめます(もちろん知らない単語や表現もまだまだ出てきます)。

ただ、それでもなお強く感じるのは、「英語を習得すれば、ネイティブのように話せる」という10代の私のイメージは、やっぱり幻想だったということです。

大学で学んだ「クリティカル・ピリオド理論」では、14歳を境にそれ以降に習得した言語は母語にはなり得ない、とされていました。今ではそれを、自分自身の体感をもって実感しています。

「日常会話レベル」の難易度は高い

いま現在、「英語だけで話す環境」の中で暮らして英語を話すことが当たり前の生活をしていても、複数人での会話の中では「えっ今のどういう意味?」とついていけなくなる瞬間が、いまだによくあります。

私の持論になりますが、一般的に簡単とされる「日常会話レベル」の英語は、実はものすごく難易度が高いのです。(少なくとも私はそう感じています)

会話に出てくるトピックの引き出しは、政治・スポーツ・車・地域の話題・皮肉やユーモアなど、あらゆるジャンルに渡り、テンポも早く、わかりやすくわざわざはっきりと話してくれる人なんてほぼいません。(ゆっくりはっきりと話す話し方は、失礼だという文化も関係していると思います)

日々、ネイティブとの差に葛藤しながら生きています。

これから英語を学ぼうとしている人にとっては、「え、10年住んでもそんな感じなの?」と
ガッカリさせてしまうかもしれません。でも、安心してください。

というのも、かつて私が思い描いていた“英語ペラペラ”には到達しています
言いたいことを英語で言えるようになったし、英語を通じて得られたものは数えきれません。

でもここでいう「ペラペラ」と、ネイティブのような “言葉の引き出しの豊かさ” や “文化的な含みを自然に扱える力” は、また別物だと実感しています。

だから私は今でも、「まだまだだな…」と感じる瞬間があります。
ネイティブの中にいると、自分の英語が思うように届かない場面や、理解が追いつかないことが出てくるのです。

本当に必要な力とは?

ただし、「英語ができて当たり前」の環境で暮らすようになると、目指すべきは「ネイティブのように話すこと」ではないと、気づくことができました。

本当に必要なのは、“伝えたいことを自分らしく届ける力”と、“わからないときに、素直に「わかっていないこと」を伝えられる柔軟さ”

英語力だけでなく、人と向き合う力としてのコミュニケーション力が問われるのだと、今は感じています。

じゃあ、その力を伸ばすにはどうすればいいのか。
そこで大切なのが、英語という「言葉」だけではなく、その背景にある文化を理解することです。

私は小さい頃から洋楽に親しみ、英語圏の映画やドラマもたくさん観てきました。
その文化的な下地があったからこそ、言語面で足りない部分を補えていたと実感しています。

文化的な共鳴がつなぐ英語

たとえば、大学時代。英語がまだうまく話せなかった私に対して、現地の学生たちは「一緒に授業受けよう」と席を取ってくれたり、ホームパーティーに毎回誘ってくれたり…。

彼らと自然に馴染めたのは、私が少なからず文化的に“通じるもの”を持っていたからだと思っています。

言語って、単なる“ツール”ではなくて、その背景には、文化、価値観、人々の歴史がぎゅっと詰まっている「生きたもの」だと、今は感じています。

だからこそ、完璧な英語を話すことよりも、「その文化に寄り添いながら、自分らしくコミュニケーションできること」こそが本質なんじゃないかなと、思っています。

非ネイティブだからこその強み

ネイティブのようになる必要はない。
むしろ「非ネイティブだからこそ持てる視点」や「日本語を母語に持つからこその深さ」が、英語でのコミュニケーションにおいても、大きな強みになることがあると思うのです。
そもそも、難易度の高いとされている日本語が母語で、それはすでにマスターしてるんだから!

・・・と、これ、実は私自身にも言い聞かせています。
というのも私は、英語力が確実に上がっているとわかっていても、「まだダメだ」と思ってしまいやすいタイプだからです。

これは私自身のAuDHD(ASD+ADHD)気質の影響もあると思うのですが、できている部分より、できていない一瞬に意識が引っ張られてしまうんです…

だからこそ、「不完全でも、自分らしく伝わる英語」でいい。
そう自分に言い聞かせることも、大切な練習のひとつだと思っています。

英語は一生の相棒

結局私にとって英語は、一生付き合っていく相棒。
(大好きで、大嫌い。大嫌いだけど、大好き。笑)

これからも私は、言語も文化も、それを使った日々のコミュニケーションも楽しみつつ、
学び続けていくんだろうなと思っています☺︎

🌱この記事が、英語と向き合っているあなたの理解を深めるきっかけになれたらうれしいです☺️

コメント

タイトルとURLをコピーしました