こんにちは!オーストラリアで、今のパートナーであるトリちゃん(オーストラリア人)と暮らし始めて早7年。母親になって、もうすぐ5年が経とうとしているYukaです^^
さて、早速ですがタイトルにある「あるとかなり心強いもの」。それは――
家族=信頼できるパートナーです!…と言っても、これってずっと“当たり前”になっていたからこそ、なかなか気づけなかったポイントでもあったのです。でも、改めて「トリちゃんでよかったなぁ」というか、実はめっちゃ助けられてた…!と気づけたのと、特に、自分の脳の特性に気づくための診断を受けてから、その存在の大きさに気づけた部分がかなりありました。
ということで今回は、脳に特性がある私にとって、信頼できるパートナーの存在がいかに日々の生きやすさの鍵になっているか。その理由を、私自身の実体験とともに綴っていきたいと思います!
この記事の内容はあくまで私のケースですが、ADHDやASDなどの特性を持っている方にとって、何か参考やヒントになれば嬉しいです✨
思いもよらないミスの連発
まず兎にも角にも、普段生活していると、置いたはずのものがない、思っていたより時間が経っていて焦る、ものを落として壊す、など、こういったことがしょっちゅう起こります!
例えば、私自身のやっちまった実例特集(外出編)で言うと…
- 上着を手に持ってたのに、気づいたらない。どこかに置いてきたのだろうけど、記憶がない
(→後で職場に置き忘れてただけとわかる) - *Go Cardをなくす
(→普段は定位置にしまってるから基本大丈夫なはずが、その日はバスが予定通り来なかったというイレギュラーがあり、そこで紛失) - 待ち時間がたっぷりあったのに電車を乗り過ごす
(→時間がありすぎたために油断してしまった) - バスで降りるべところで降りそびれる
(→iPhoneを見てて集中しすぎた)
※Go Card:QLD州で公共交通機関を使うときに使うチャージ式ICカード。日本で言うSuicaやIcocaのようなものです💡
こんな感じなのですが…この4つ、全部たった1ヶ月のうちに起きたことです。これに加えて、家の中でもちょっとした物が見つからなくてバタバタ、外出前に「あれどこ!?うわ時間!」と焦るのは、もう日常茶飯事。最近では、まだ4歳の息子が、そんな私の様子にすっかり慣れてしまって、「Hey Mummy, I found your iPhone!(マミーのiPhoneここにあったよ!)」と、教えてくれるほどです
身近なところでの助けが必要
こんな感じで些細なミスの連発が日常茶飯事で、気をつけていても、やべっ、やらかした・・・が、やっぱりよく起きてしまうんですよね。。。例えば、上でシェアさせてもらったやっちまった実例特集(外出編)ですが、ああいったことが仕事帰りに起きてしまうと、田舎暮らしの私にはかなり致命的で
電車を逃せば、パートナーに連絡して、車で迎えに来てもらうしかないことがほとんどです。。。
さらにやっかいなのが、私はASD優位のADHDタイプで、ADHD的なうっかりミスをすると、今度はASD的な「完璧主義」や「自己否定」が発動して、自分を強く責めてしまうんです…。「くっそぉ…またやっちゃった…なんでこんなこともできないの?」と。(本当に面倒くさい特性です
)
ところが、そこで!パートナーのトリちゃんの登場です。彼がこういった私の性格を、丸っと受け止めてくれるのです。むしろ、それを微笑ましく見てくれてる感じです。迎えにきてくれた時の、「It’s all good. (大丈夫だよ)」と、笑顔で言ってくれる安心感は半端ないです。(すでに自分の想像の中で、自分で自分の頭をポコポコ100回くらいはパンチしてるので笑)
家でも、いつものように出かける前に焦ってる私を見て、「Did you grab your phone?(携帯持った?)」「Did you grab your drink?(飲み物は?)」と、さりげなく持ち物チェックを一緒にしてくれたり。
「お、また始まったぞYukaタイム」、みたいな感じで、うまく流して見守ってくれるのです。ある日、バタバタ慌ててる自分にふと我に返った瞬間に、トリちゃんが息子を見守るようなあたたかな目線で私のことを見ていたことに、気づいたことがありました。きっと私の、“ダメなとこも含めてYuka”だと、まるごと受け入れてくれてるんだなって、こういう瞬間に、あぁ、本当にありがたいなと、感じます。
私のこういったわちゃわちゃしたり、かと思ったら今度はそんな自分や状況に*Overwhelmしてしまう特性を、シンプルに面倒くさい。。。と思う人の方が、きっと多いと思うんです。なのにそこをむしろ微笑ましく思ってくれて、そばにいてくれるのは、これこそ愛だなと…。
※Overwhelm(オーバーウェルム):情報や感情が一気に押し寄せて、心がいっぱいいっぱいになること。英語圏の日常会話でよく使われる言葉です💡
ちなみに今思い返せば、10代の学生時代の頃には、お母さんや親友、当時の彼氏が、こういった“私らしさ”を自然とカバーしてくれていました。まさに、「Yukaという人」をまるっと受け止めてくれる人たちです
でも今、私は37歳。親とは一緒に暮らしていないし、友達だって10代や20代の頃みたいに頻繁に会えるわけでもない。だからこそ、今のこの時期の自分にとって、「パートナー」や「旦那さん」の理解って、ほんっとうに大事だなと感じています。
彼自身が克服していたADDの特性
上でも書いた通り、たくさんサポートしてくれているトリちゃんですが、実は彼自身も、幼少期に*ADDと診断されていて、治療を受けていた期間がありました。
*ADD:トリちゃんが診断されたのは約30年前。当時は「ADD(注意欠如障害)」という呼び方でしたが、今ではこの名称は使われておらず、「ADHD」の一部として扱われているそうです💡
小さい時に対処法を学んで実践→改善してきているため、今や特性による弊害はほとんどないと感じているようです。こういった背景もあって、私のことを上手く扱えるという影響はありそうですよね。実際に、「I’m *OG, right? Lol(ほら、僕は先輩だからさ!)」と言ってくるくらいです笑
※OG(オージー):元々は "Original Gangster"(=元祖ギャング)の略語ですが、「その道のベテラン」や「経験豊富な人」という意味で、こうしてカジュアルに使われることもあります💡
補足:トリちゃんは何十年も前に ADD の診断を受けていて、私はここ一年でやっと診断されたばかり。そのため「私は後輩、彼が“OG(先輩)”」というわけです
こんな感じで、深刻な問題としてではなく、“個性のひとつ”としてさりげなく受け止めてくれるそのスタンスに、私は本当に救われています。
もちろん、毎日がパーフェクトなわけではないし、私自身もまだまだ「やっちまった〜」は連発してますが(笑)、それすら一緒に笑える相手がいるっていうのは、本当にありがたいことだなぁと、日々実感しています。
そういえば、私が27歳で離婚を経験したとき・・・幼い頃、実家のお店で働いてくれていた“お兄ちゃん的存在”の人に、こんな言葉をかけてもらったことがありました。
「Yukaの良さ、Yukaのご両親の素晴らしさをちゃんとわかってくれる人が絶対いる。そこをわかってくれる人と一緒になりな。絶対にいるから。」
そのとき私は、「もし私の両親の人柄までちゃんとわかってくれるような人に出会えたら、また結婚するかもしれない。でも、そうじゃなかったらもう結婚はいいや」そんなふうに思っていたんです。そしてその後、トリちゃんと出会い、両親に初めて会わせたときに「あ、これだ」って直感で思ってはいましたが。。。
今こうして一緒に暮らしていく中で、そのときの言葉の意味がじわじわと、より深く実感として沁みてきています。
まさに、ここだったのかもしれません。
まとめ
自分のやりたいことに忠実に生きてきた結果、現時点の私は、海外で暮らしています。そんな、日本という母国ではない環境だからこそ、気づくのが遅くなったのかもしれないし、逆に早く気づけたのかもしれない。自分の脳の特性に気づき、それを受け入れて、ときにはその“めんどくさいところ”にも付き合っていかなきゃいけないとわかったとき、私にとって何より大きな支えになってくれたのが、「トリちゃん」というパートナーの存在でした。
特性を無理に“直そう”とするんじゃなくて、「そういうもんでしょ」と受け止めてくれる人がいること。今回は“パートナー”について書きましたが、必ずしもパートナーでなくても、身近にそんな存在がいてくれることは、ASDやADHDといった特性を持つ人にとって、ものすごく心強いことだと思います。
今までは当たり前になっていたけれど、実はすごく助けられていた。
それに気づけたことが、自分のことを見つめ直す中で見えてきた、私にとって大きな発見でした。
この気づきが、誰かにとっても、ふと自分を見つめるヒントになったらうれしいです