ASDは魂に正直 — 学生時代の私を振り返って思うこと

自分とASDとADHDと。

こんにちは!
オーストラリアの田舎町で、オージーのパートナーとフードトラック準備中のYukaですニコニコ

最近、自分の特性についてあらためて考えることが増えているのですが

そんな中で「ASDは魂に正直」という言葉を聞いて、なんだかいろいろ腑に落ちることがありました。

“魂に正直” — これ、わかる。

体感的に、わかるのです。

特に学生の頃は、基本が集団活動だったからか、今思えばそういった特性がよく出ていた気がします。
周りに合わせることに日々疲れていて、そのストレスは家族やパートナーにいってたなと・・・

今日は、当時の体験を振り返りながら、なぜ「ASDは魂に正直」と感じるのか、その理由を書いてみようと思います。

こうして振り返ってみると、

・あらゆる場面で少数派の行動をとっていること

・「納得できるかどうか」がいつも大事だったこと

・そもそも「意味がない」と感じたことは、本当にできなかったこと

そんな傾向が見えてくると思います。

小学生の頃

花火ラジオ体操やスポーツ大会など、任意イベントには全く参加しない

当時、朝早く起きてラジオ体操に参加する意味を感じていなかったので、参加しなかった。

これを言うと同級生に驚かれる。

「え、ゆか、一回も行ったことなかったの!?てか、いなかったっけ!?」

みたいになる。

ちなみに、運動が苦手だったわけではなくて、
足はクラスで一番速かったし、女子の中では運動神経も一番だった。

今思えば、
“運動が嫌い”だったわけでも、
“外に出るのが嫌”だったわけでもなくて、

ただ、意味を感じないことに時間とエネルギーを使えなかったんだと思う。

花火給食の時間に好きな曲をかける

いつもクラシックが流れてるのがつまらなかったので放送部に入り、当時クラスメイトに人気だったモー娘。やSPEED、SMAPの曲なんかを流したことがあった

音譜音譜

生徒のみんなからは、大好評。

その様子をみて先生からは、
「わかるよ、でもね、ご飯を食べる時には、ご飯が喉を通るように、落ち着いた曲にすることも大事なんだよ」
と、注意的な意見をもらった。それも本当にその通りだと思う。

でも、クラスメイトたちが喜んでくれてたのが、すごく嬉しかった。普段あまり話さないクラスメイトから、「ゆかちゃん、給食の時間が楽しくなったよ!」と言ってもらえたことも印象的だった✨

今思えば、毎日当たり前のように流れていたクラシックの給食時間に、いきなりJ-POPをかけるって、かなり思い切った行動だったと思う。

高校生の頃

花火すべてのノートを自由帳に変更

ノートのラインに不自由さを感じて自由帳に。

字も大きかったので、決められた枠の中に書くのは無理があったし、書きたいように書きたいから、自由帳はまさにもってこいだった!
ピンク、パープルなどの映える色を使って、カラフルにまとめるのが好きだったな。
でも、そっちに集中して授業を全くと言っていいほど聞いていなかったのも事実ニヤニヤ!!

花火授業をスキップして、部活だけに参加

学校にどうしても行きたくない日があった。だから行けなかった。
でも、当時一生懸命だった部活(チアリーディング)には行きたかったから、行った。

その日、学校の玄関口のエレベーターの前でチアのコーチに鉢合わせたとき、
「やべ、なんで言われるか」って一瞬焦った滝汗

でもコーチは
「本来注意しなければいけないところだけど、Yukaが練習には来てくれてる姿を見て、正直私は嬉しかった。教師としてこんなこと言っていいかわからないけど、ありがとう。」

って言ってくれたこと。
今でも覚えてる。私もすごく嬉しかった。

花火

教科書を買わない

書道のクラスで教科書を後から買い足す必要があった。

でも使い道は、お手本の字を見るだけ。その見本は黒板に大きく貼ってくれているし、必要なら先生の机の上にもある。

なぜ買わなきゃいけないのかわからなかった。

当然、先生から教科書を買うようにと家にも電話が入り、

母からも「お金渡してるんだから、ちゃんと買いなさいね?わかった?」と言われても、

「だって使わないだもん。必要ない、無駄なものは買う必要ないよ。そのお金は、違うことに使った方がいい。」の一点張り。

結局、書わなかった。笑

花火全員必須の統一テストを受けない

系列校である日大に行く予定がなかったので、受ける必要がない、時間と労力の無駄だと思ってしまい、当日は学校に行かなかった。

もちろん、全員が受ける必要があったのはわかっていたけど、自分にとって必要がないと感じていたからか、どうしても行けなかった。

ただ、この時ひとつ大きかったのが、たまたま似たような境遇のクラスメイトの女の子がいて、
その子も「その日は行かない」ってわかっていたこと。

一人じゃなかった、という安心感もあったと思う。もしこの子がいなかったら、仕方なく受けてたかもしれない。


余談ですが上差し気づき
この時に「他の人たちと違う行動」をとったのが、この子と私。
私は今こうして東京を出てオーストラリアで生活し、一風変わった人生を自由に生きていますが、彼女も負けてません。
彼女は “綺麗な海のあるところに住む”と、東京を出て、日本国内の島に家族で移住し、ダンスのインストラクターとして子どもたちを中心にダンスの指導をしています。
特別すごいことをしているわけじゃない。でもそれぞれ、自分に正直に選んだ結果、
ちゃんと“自分なりの生き方”に辿り着いている。
私はASDだから、それしか選べずそうなった部分も大きいけど、やっぱりこれは「魂に正直だった結果」なんだと思っています。

まとめ:魂に正直だった私の選択

こんな具合で、自分が「違う」と思うことには、とっかかることすらできない一方で、
好きなこと(当時で言うと、チアリーディングを仲間と練習すること)には一生懸命で、
練習は1日も休まなかった。

やりたくないと主張していたのにも関わらず、
最終的にキャプテンにまでなった。
これは自分の意思と反して、周りから信頼されてた証だったと思う。

でもそりゃそうだ。
授業サボってでも部活には休まず来る真面目さが、そこにはあったから…

こんなに、要は極端ではあるのだけれど驚き驚き

だからこそ、心の声が「違う」って言ってることはできないし、
「それ!」ってなるときは、とことんやってしまう。

そんな感じなんですよね。

だから、その自分を嫌に思うんじゃなくて、
どうせ納得いくことしかできないんだから、
そこを突き詰めて、その道を仕事にしていけばいい。

そう思ったら…
ある意味、気づくことさえできれば、ありがたい特性なのかもしれませんニコニコ

コメント

タイトルとURLをコピーしました